赤坂のオフィス【再開発の予定】事務所利用での魅力・利便性
- エリア別オフィス事情
- 港区
- 2020/04/02
「大人の街 赤坂」
港区は赤坂、数多くの高級マンションが立ち並び、その麓には高級料亭やミシュランの星を獲得しているレストランが多数など、そのイメージに恥じない日本東京でも随一の繁華街です。
一方で1丁目から9丁目までなる赤坂には2万人の定住人口が存在し、冒頭で書いたように赤坂は誰もが憧れる高級住宅街としての一面も持ち合わせています。
交通の便も良く、同じ港区では六本木や青山への利便性はもちろん、千代田線を使えば大手町方面へのアクセスも容易です。渋谷駅からも電車で約7分と主要な都内のオフィス街への中間地点として、エリートビジネスマンたちがすみかを構えるいわゆる「憧れの住みたい街」が赤坂です。
一方でオフィス街としての「赤坂」の顔はどうでしょうか。駅前のビル群に目をやると、特筆すべきは赤坂サカスビズタワーを始め、山王パークタワー、プルデンシャルタワー、インターシティエアなどが赤坂駅前で目立つビルとなっています。
テナントとしてもTBSや博報堂、NTTドコモやDeutsche Bank(ドイツ銀行)、アクセンチュアなど錚々たる面子がオフィスを構えています。 国会議事堂や各国の大使館もあり、事務所エリアとしては申し分ない機能の充実具合ですが、赤坂ってなんとなくマンションや商業に比べて、オフィスのイメージが薄いような気がしませんか?
実際に港区内の賃料相場と比較してみると、六本木エリアのオフィス賃料相場は20,000円台前半〜なのに対し、赤坂エリアではおおよそ18,000円台と、やや弱含みとなっているのが現状です。事務所数も約6,000弱と、六本木や虎ノ門などのその他の港区内のオフィスエリアに比べると少し少ないということがわかります。
では、赤坂は都内のオフィス街という位置付けのエリアの中では存在感は弱いマーケットなのでしょうか? 実はそれは誤った判断と言えるでしょう。赤坂は今現在オフィス賃料も少々水準が弱く、ビルも築年数が古いものが目立ちますが、ビルの建て替え計画が多く存在しており、「国際色豊かな」オフィス街へと変貌する過程の真っ只中にあるエリアなのです。 今回はそんな赤坂のオフィス事情と、今後のエリアの動向について解説していきます。
生まれながらの港区シティ?赤坂の歴史
外堀通りを中心として、国会議事堂や議員会館、各国の大使館機能など、オフィス以外にも行政機能もその特徴として持つ赤坂は、赤坂サカスが誕生してからは芸能やエンターテイメント、広告などのイメージもついている町となりましたが、赤坂が一つのエリアとして都内でも存在感を放ち始めたのは江戸時代のことです。
かの将軍・徳川家康が、江戸城(現在の皇居)の周辺の大規模な整備を行いましたが、赤坂もその整備により誕生した街の代表的な例でした。赤坂という名のごとく、坂が縦横無尽に張り巡らされ高台に位置していたその立地から、当時の赤坂は徳川御三家のうちの一つである紀州徳川家をはじめとする多くの大名や旗本など、江戸の名士たちがおのおのの武家屋敷を構える「江戸のお膝元」としての役割を与えられました。
当時の名家が立ち並んだ赤坂周辺は当然町としての活気をつけていき、急速な市街化とともに繁華街としても発展していきました。余談ですが、「赤坂」という坂自体は存在しないそうですよ。高台であった赤坂のふもとは外堀として整備され、幕下藩士、や庶民、職人たちらが住み着くようになりました。現在の溜池山王です。
現在も多くの芸能関係者やエリートビジネスマンが住む町として知られている赤坂ですが、実は明治時代には勝海舟がその邸宅を構え、坂本龍馬や司馬遼太郎などもよく赤坂を訪れていたとのことで、当時から「格式高い地」として独特な雰囲気を放つ土地だったということがうかがえます。
坂本龍馬、勝海舟と言えば明治時代の豪傑たちですが、そのような人々が良く訪れていたこともあってか、明治以降赤坂は軍隊の駐屯地となり大名や武士に変わって明治政府の政治家たちや軍関係者などがこぞって住む町に変貌していきました。高橋是清が暗殺されたことで知られる二・二六事件も、赤坂での出来事でした。
昭和後期に入ると、赤坂を含む現在の皇居の周辺は空襲や爆撃などにより多大な被害を被りました。丸の内や有楽町、日比谷などが戦後の新たな姿を手に入れているころ、赤坂周辺は外堀通り沿いに多くの外車ディーラーを構え、多数の自動車企業が本社を構えるなど、自動車街として知られた時期もありました。現在ではあまり面影はありませんが、当時の日本では珍しいポルシェやアウディ、メルセデスベンツなどの高級外車が並べられ、庶民の憧憬を集める街となりました。
赤坂が現在の姿に最も近づいたのは高度経済成長、日本経済がいわゆる「バブル期」を迎えたころでした。赤坂のみならず、この高度経済成長期では日本のありとあらゆるところで商業・産業が急激な成長を遂げ、東京の繁華街にはキャバレーやディスコ、クラブなどが立ち並ぶようになりました。赤坂は特に霞が関が至近に位置していたことが由来し、夜には多くのビジネスパーソンや訪日外国人などが訪れ、眠らない町として彼らを歓迎しました。
こうして繁華街として一大的な発展を遂げた赤坂は、銀座と並んで日本の二大繁華街として知られるようになり、芸能界関係者や財政界の重鎮たちが夜を過ごす町としてその存在感を増していきました。
バブルが崩壊すると、国民の消費意欲は下降線をたどり、赤坂の街を彩っていたネオン街はその姿をひそめました。バブル崩壊直後の赤坂は空室となったビルが目立つコンクリートジャングルとなりましたが、近年の再開発などにより雑居ビルは取り纏められ、徐々に現在のビジネス街としての香りも感じられるような姿へと変貌していきました。
古ビルが目立つもポテンシャルは間違いなし!赤坂のオフィス事情
そんな言ってみれば「華やか・派手」な印象を持つ赤坂の歴史ですが、近年では赤坂を含め港区は日本でも随一のオフィス集積エリアであり、赤坂だけでも10万人近くの就業人口が存在します。冒頭で述べた通り、六本木などに比べるとややオフィス賃料は弱含みになっており、その歴史も相まってあまりオフィスとしてのイメージが先行しないこともある赤坂ですが、その特性を見ればオフィス街としては十分すぎるポテンシャルを持つオフィス立地であることがわかります。
赤坂のオフィス街としての大きな特徴の一つとして挙げられるのが、稀有な立地の良さでしょう。冒頭でも港区内の主要エリアである六本木や虎ノ門、東京駅前の千代田区などにアクセス良好であることには触れましたが、電車に乗ってしまえば10~15分足らずで渋谷、新橋、銀座などの都内の主要且つ多くの事務所が存在するエリアにもアクセスすることが可能です。また、自動車移動をとっても国道一号線が近く、東京駅などへのアクセスも容易です。繁華街のイメージが強い赤坂ですが、周辺の駅を含めれば複数の地下鉄路線でのアクセスが可能であり、都内の主要路線である山手線の中心に位置する利便性の高さから、ITやコンサル、広告、マスコミ、芸能や金融など、エリアイメージにとらわれず幅広い業種の本社が存在します。加えて少し足を延ばせば霞ヶ関や国会議事堂などにも近く、税理士法人や法律事務所等からのニーズも底堅いエリアでもあります。
一方で街を歩いてみるとわかる通り赤坂には高層ビルも目立ちますが、その足元には多くの雑居ビルが存在していることもわかります。ここ数年で大規模な再開発が散弾的に行われている赤坂はこのように高スペックビルと築古ビルが混在しているマーケットを構築しており、かつてそういった古ビルに入居していたテナントたちのニーズが新築ビルに集約されてきていることから、港区内ではやや空室率が高くなっている原因でもあります。
国際都市へと生まれ変わる?再開発の機運高まる赤坂のオフィスの今後
上記の通りやや独特なマーケット感を構築している赤坂のオフィス事情ですが、丸の内や日本橋、渋谷などが再開発によりオフィス街として強みを増す一方で、赤坂は今後どのような発展を見植えているのでしょうか?それを見通すための鍵は2011年に制定された「国際戦略総合特別区域・アジアヘッドクォーター特区」です。
2011年に赤坂を含むエリアが選定されているこのアジアヘッドクォーター特区ですが、この特区は東京の国際競争力の向上を目指し、アジアでビジネスを行う企業たちの業務拠点や研究既発拠点の誘致を奨励するエリアを都内に定めたものです。このエリアに進出しようとする外資系企業には日本政府から税制の優遇、金融支援などのメリットを享受することができ、アジアでビジネスを行う際に日本をヘッドクォーター拠点の選択肢として有力な候補として外資系企業に認識させるための政策です。
2011年からの10年間で1兆円以上の予算を見込まれている本政策が佳境を迎える近年、赤坂も多くの再開発計画を携えオフィス街としてのプレゼンスを高めるべく準備をしています。 大規模なものでは森ビルを擁する赤坂二丁目プロジェクトでは延べ床面積220,000㎡もの規模のビルの中に先進的なオフィス機能のほか、国際競争力を高める文化発信・観光機能の導入や、赤坂の地域資源である「江戸型山車」の修復及び展示を行うことで日本の歴史文化に興味を持つ訪日外国人の観光ニーズを取り込もうという取り組みがなされています。
赤坂のランドマーク的存在の赤坂サカスの隣地である国際新赤坂ビルの跡地にはTBSと三菱地所主導のエンターテイメント拠点再開発計画が存在し、「赤坂エンタテイメントシティ構想」と銘打った街づくり構想を打ち出しています。本計画では赤坂に新たなライブハウスなどのエンターテイメント施設の導入や、最先端の文化発信機能の拡充などを計画しており、ただのオフィス機能集積だけではない次世代ライブエンターテイメント拠点としての赤坂の今後の展望を想起させる計画内容となっています。本計画は概ね10年程度の再開発計画となっており、最先端技術を駆使した体験型集客施設やサカス広場との連携を想定したメディアフェスティバル、芸術系やメディア系の人材育成に的を絞ったインキュベーションなど、次世代的な取り組みが多く想定されています。 東京オリンピックを迎える今年2020年、国際化の波を一手に引き受けどんどんと発展していくオフィス街としての赤坂は、今後想定されている再開発計画や六本木、虎ノ門などのエリアとともに、日本の国際化の玄関口として国際色豊かなビジネスマンたちをおもてなしする準備が着々と進められています。
最後に
いかがでしたでしょうか?今はまだまだ変化の途中ですが、「国際戦略総合特別区域・アジアヘッドクォーター特区」に含まれたエリアであること、「赤坂エンタテイメントシティ構想」といった再開発が行われるということで今後もますます華やかな街となりそうですね。
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